#3-低酸素とは

3. 低酸素とは

すべての議論の前に低酸素という語の意味する範囲を限定しておくことにします。

1) はじめに

低酸素(hypoxia)とは、全身または特定の組織・臓器へ十分な酸素供給がなされていない状態であり酸素代謝(oxygen metabolism)が抑制されている状態である。絶対的な酸素供給量の低下を強調する場合もあるが、臨床医学上では細胞の酸素需要と供給のミスマッチの存在を低酸素状態と考える場合が多い。スポーツなどの激しい運動の結果骨格筋の酸素消費量が心肺機能の限界を超えて上昇するような場合や敗血症で炎症メディエーターに暴露された臓器で酸素供給の絶対量が増えても酸素利用が制限されているような場合は組織・細胞レベルでは低酸素状態となり得る。

このようなエネルギー代謝と結びついた酸素代謝のミスマッチの他に、生体は酸素分圧の低下を生体現象のスイッチとして利用している場合がある。このような場合必ずしも酸素負荷が起こるわけでもないしエネルギー負荷が観察されるわけでもない。

2) 臨床症状

全身的な低酸素症ではまず中枢神経の一過性の興奮を経て抑制が生じ。意識不明やけいれんに至る場合がある。一方組織低酸素症では、好気的な代謝から嫌気的な代謝への変換が誘導される。長期間または程度の強い低酸素に暴露された場合、細胞死が誘導され不可逆的な臓器不全に至る場合もある。組織・細胞レベルでは,分子状酸素はすべての好気性生物の細胞呼吸(内呼吸)の最終過程に必須な分子であり、ミトコンドリアにおける電子伝達系の電子受容体として働いている。分子状酸素の供給が酸素消費量を下回る状況では、ミトコンドリアでのプロトン勾配の形成が阻害されるのでATPの合成量が大きく減少し、細胞は嫌気的な代謝に傾きまたこの状態で活性酸素種の発生が観察される場合がある。高乳酸血症などに至る場合もあり、臨床的には臓器低酸素状態の一種のマーカーとして参照される場合がある。

3) 分類

I 酸素運搬量に着目した低酸素

動脈血酸素含量がCaO2 (mL/dL)=[1.39 (ml/g) x Hg (g/dL)x SaO2]+[0.0031 (mL/dL/torr) x PaO2 (torr)]と表されるときに酸素運搬量は DO2 (mL/min)=Q (dL/min) x CaO2となる。(Hg:ヘモグロビン, SaO2:動脈血ヘモグロビン酸素飽和度, Q:心拍出量)

各変数の変化に着目すれば低酸素は以下のように分類できる。

I-1.低酸素分圧性低酸素(hypoxic hypoxia)

血中の酸素分圧の低下した状態(低酸素血症)の結果としての低酸素状態。低酸素血症は低酸素状態を説明する因子となるが低酸素症とは明確に異なる概念である。

吸入酸素分圧の低下(高地や閉鎖腔への滞在などで生じる)、肺胞低換気(薬物の影響や睡眠時無呼吸症候群など)、肺胞でのガス交換効率の低下(肺水腫や急性肺傷害など)、肺内または心臓内シャントの存在(肝硬変や先天奇形など)、換気-血流比の低下(体位や人工呼吸など)、などが発症機序としてあげられる。

臨床的には安静時のPaO260 mmHg以下の場合は低酸素血症として酸素療法の対象となる場合が多い。

I-2.貧血性低酸素 (anemic hypoxia)

赤血球数、ヘモグロビン量の低下(貧血)が原因で酸素運搬能が低下した状態。造血系疾患、鉄欠乏などが発症機序としてあげられる。どの程度のヘモグロビン量の低下がどの程度の酸素運搬量の低下を引き起こすかは病態成立の時間的な経緯、患者の心血管系の予備能によるが例えば再生不良性貧血患者の場合、一般にはヘモグロビン濃度が67g/dLを維持するよう輸血を行う。

I-3.高酸素分圧性低酸素 (hypermic hypoxia)

一酸化炭素中毒症、メトキシヘモグロビン血症、先天的なヘモグロビン異常症などの結果、組織・臓器への酸素供給能が障害された状態をいう。

一酸化炭素と結合したヘモグロビン(CO-Hb)の割合は、正常な成人では0.2-0.5%であるが喫煙者では5-10%を示す場合もある。一酸化炭素中毒ではCO-Hbの割合は50% 以上に達する場合もある。

I-4.組織低灌流(hypoperfusion)、虚血 (ischemia)

心不全による心拍出量の低下などは全身的な影響となるが、血栓、塞栓などが原因の場合、臓器、臓器の部分への影響となる場合もある。

II 酸素需給バランスに着目した低酸素 (組織酸素代謝失調)

酸素運搬量(供給量) DO2と酸素消費量 VO2 (mL/min)=Q x [CaO2-CvO2])の差は通常プラスとなる (CvO2: 混合静脈血酸素含有量)。供給が消費に過剰するこのような状態は生体にとっては、安全域を確保する合目的な仕組みと言える。酸素の組織での摂取率を酸素摂取率 (oxygen extraction ratio; O2ER)と呼び、O2ER=VO2/DO2と定義される。標準的な成人から得られた測定値から全身でのO2ERは約0.25と推定されるが、個々の臓器を考えれば心臓、脳、腎臓の摂取率は、おのおの0.55, 0.30, 0.06程度とされ臓器ごとに酸素代謝の特徴を反映してさまざまな値を示す。

生理的な条件下ではVO2DO2に依存しないが、DO2が低下した病理的な条件下ではVO2DO2に依存する場合がある(図参照)。このような条件下では生体はO2ERを上昇させて酸素摂取の効率を上昇させて利用可能な酸素量を増やしていくのであるが、この調節が破綻しDO2VO2のミスマッチが増加して酸素負荷(oxygen debt)が上昇していく。このような病態をとくに組織酸素代謝失調(disorder of oxygen metabolism, dysoxia)と呼ぶ場合がある。臨床上、このようなダイナミズムが観察される病態の代表は、敗血症性ショックである。進行した敗血症では、血圧の低下に加え、血管内の微小血栓の発生、間質の浮腫、血管内皮細胞の機能不全が起こり組織低灌流状態となる。このようなDO2の変化に加えて、敗血症状態の各種臓器は炎症性サイトカインへの暴露、持続する細胞内低酸素状態によりミトコンドリア電子伝達系の異常が起こり、酸素利用効率が低下している。この状態では比較的に多量の酸素が供給されたとしても十分な酸素利用がなされない場合があり、酸素消費量が酸素供給量に依存して増加していく現象が一見正常範囲内のDO2で観察される。(図参照)


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